2009年10月30日
チーフエコノミスト 中島厚志
リーマン・ショックから1年、いままでの世界経済の枠組みが見直されつつある。そのひとつは、金融収益を上げるための金融業務が金融危機をもたらした一因となったことから、いままで優良なビジネスモデルとされてきた米国の投資銀行ビジネスモデルに対する見直しである。そこでは、金融システムの健全性維持の観点から過剰な金融リスクを取るインセンティブになりかねない金融機関の高額報酬などに規制が加えられ、金融ビジネスが経済・企業・個人に貢献するものという原点に立ち戻ることが意識されている。
もうひとつ見直しが求められているのが、行き過ぎた市場主義についてである。米国のオバマ政権や日本の民主党政権の誕生に見られるように、市場主義を今後とも重視するとしても、社会の安定・安心も重視しなければならないとの意識が強まっているようにも見える。もっとも、ドイツのように、選挙の結果中道右派・中道左派連立政権が解消されて保守中道政権になり、市場経済化をより強く推進するような逆の動きもある。しかし、それでも経済不振と国民生活劣化に対して建て直しが求められていることに変わりはない。
企業経営についても、いままでの潮流が変化する可能性がある。それは、企業経営における利害関係者(ステークホルダー)重視の姿勢である。近年の企業経営では、株価を上げ、株主に還元する株主価値にウエイトが置かれてきた。しかし、今回の金融危機を契機に、行き過ぎた市場主義に懐疑的な見方が広がることで、株主価値を上げるために短期的利益の極大化を最重視し、結果として雇用や地域との関係を劣後させるような経営に疑問を呈する向きも増えている。
このことは、従来から利害関係者を重視してきた多くの日本企業にとっては好ましいことのように見えるし、いわゆる日本型企業経営の再評価にもつながっているようにも思われる。日本型企業経営とは、終身雇用制、年功序列制、企業内組合の3点セットを具備した経営形態を指すと一般的に言われているが、あわせて従業員のみならず地域や顧客・取引先を大事にする利害関係者重視の経営姿勢も重要なポイントである。
ところが、足元の日本型企業経営の復権が、いままで株主重視で短期的利益追求型の欧米的な経営姿勢が強調される中で苦戦を強いられてきた日本の企業経営者に、諸手を挙げて歓迎されているように見えないのは気になるところである。もちろん、その理由はいくつかあろう。ひとつは、深刻な金融経済危機にあって、日本型企業経営の良さを発揮する余地が乏しくなっていることが挙げられる。まずは業績回復が第一であり、コスト削減が急務である中、従業員への賃金を上げることはもとより関係先を大事にするにも難しい局面にある。
また、製造業企業などでは、最適地での製造や販売を心がけなければ競争に敗れかねないほど経済がグローバル化し、内外企業との競争が激しくなっている事情もある。これでは、利害関係者重視といっても、従来から工場がある地域やそこでの関係先を最優先するばかりでは経営が立ち行かない。
しかし、止むを得ない事情はあるにしても、そもそも日本の多くの企業が保持してきた利害関係者重視の経営姿勢自体が希薄化しているように見える点は気がかりである。数字で見ても、たとえば戦後最長と言われた前回の景気拡大期においても、平均賃金はほとんど上がっていない(図表1)。この主因は、賃金が低い非正規雇用者が大幅に増加したことにある。また、年齢役職等の関係で賃金水準が高い団塊世代が定年退職を迎え、賃金水準が低い非常勤等の勤務形態で再就職している人々が多いこともある。それにしても、企業の業績が史上最高を記録したにもかかわらず、収益を従来以上に意識して、その分人件費の抑制が続いたように見えることには変わりない。

しかも、近年の雇用者報酬の増減を平均賃金の増減と雇用者数の増減とに分けてみると、雇用者報酬が増加しているときには主として雇用者が増加し、減少しているときには主として賃金が減少している(図表2)。近年では雇用者報酬全体が下落する局面も多くなっていることから、賃金には総じて下落圧力が掛かり続けることにもなる。確かに、厳しい経済環境にあって雇用が守られている点は評価できるし、少子高齢化もあって市場が成熟化している中では、そもそも売り上げも伸びにくい。しかし、賃金を抑制していては従業員の労働意欲が増進しにくいようにも思われる。

考えてみると、かつて日本企業の多くは薄利多売型の経営モデルを追及していたと言える。高度経済成長期にあっては、薄利すなわち企業の利益率が低くても、経済の高成長や人口増などを追い風にした多売で従業員の給与は順調に増加していった。しかし、近年のように日本経済が低成長になると、低い利益率体質のままでの薄利多売型経営では利益額が伸びず、従業員への追加的な利益還元も難しくなるのは当然である。
日本企業は脱工業化社会、あるいはポスト産業資本主義に乗り遅れているとの見解がある。欧米企業では、安い人件費を前提とした「規模の利益」追求型の大量生産方式によるビジネスモデルが高賃金化に伴って見込めなくなる中で、知財や情報を軸とした差別化を実現することで高い利益率を維持し続けている。それに対して、日本企業は未だに薄利多売型の経営を続けており、経済のグローバル化や新興国との競争激化に対応する高利益型・差別化志向の経営変革が十分には出来ていないとする見方である。
もちろん、日本企業を一律に規定することはできない。しかし、この見解には頷けるものがある。それは、日本企業が構造的な低利益率のまま低賃金の非正規雇用者を多用しているという事実である。日米欧企業の収益力を比較しても、大企業、中小企業ともに利益率は概して低い(図表3)。しかも、大企業と中堅・中小企業の利益率格差は近年いままでにないほど拡大しており、これでは中小企業の賃上げ余地も限られてしまう。実際、前回の景気回復期でも、日本の中小企業の労働分配率は高水準のままで推移している(図表4)。


このような中小企業の低い利益率では、日本企業の競争力のひとつの源泉となってきた年功序列制が、若年層従業員の賃金を下押しして逆に企業の競争力を削いでいるのではないかとの危惧すら抱かされる。実際、この10年間の賃金動向では、低賃金労働者の増加は正社員でも生じており、とりわけ20代、30代の中小企業従業員に賃金下落が大きいものとなっている(図表5)。

この状況を打開して賃金を確保するには、企業―とりわけ中小企業―が生産性を上げ、利益率を上げていくことが欠かせない。そして、売上高が横ばいのまま生産性を上げるのでは雇用が失われるため、企業が収益力を上げる大きな前提は、規模の利益と範囲の利益を追求し、可能な限り成長する海外市場も狙っていくこととなる。付加価値を上げるブランド力、技術力などでの他社との差別化を図り、売上高を増やす努力も怠ってはならない。
中小企業が生産性を上げ、利益率を上げることは、企業の努力だけで実現できるものではない。政策による国の後押しも欠かせない。それは、職業訓練を図るなど人材開発を積極的に支援することで、中小企業がより能力のある人材を確保する道を開くことであり、企業の生産性向上を後押しする投資減税などの措置を積極的に講じていくことである。
いずれにしろ、従業員、地域、関係先全てを大事にする日本型企業経営の理念は素晴らしい。それが実現できないとすれば、社会に貢献しようとする意思を持った経営者の志が実現できないだけではなく、従業員、地域、顧客・取引先企業にも悪影響が及ぶし、それが現状かも知れない。
金融危機を契機に世界経済が大きく変革する局面にある現在は、より環境重視や社会保障の充実に見合った産業構造を作っていくばかりではなく、企業経営においても付加価値が取れる、より高い利益率を実現する経営を心がける時期にあると言える。そして、企業の高利益率経営が実現すれば、従業員、地域、関係先全てに貢献するばかりか、企業の負担が社会保障を一層充実させることも通じて、人々が一層豊かな生活を享受できることにつながる。もちろん、豊かになった個人が消費を拡大させることで、社会と企業経営との好循環が出来上がることにもなる。企業が日本型企業経営の再構築を目指し、高利益体質の確立に取り組むことは、豊かな日本経済を作る最大の成長戦略のひとつと言える。